NBAは平等か

NBAは平等か

前の記事では、なんていうの?
勝ち負けの数は決まっていて、そこにカモが存在するみたいなことを書きましたけど。

 

 

 

今回は、NBAっていうのは平等なのかどうか。
そういうのを考えてみようと思います。

 

 

で、まぁ、これはみんなわかっていると思うんですけど。
平等ではない感じがありますよね。

 

特にNBAは結構あることで、有名都市のところにいい選手が集まりやすい…。
そういう傾向があります。
FAなんかでは、特にそういうイメージが強いですよね。

 

 

たしかにNBAの試合というのは、スタートの時点では0対0からスタートします。
コートにでている人数も5人ずつ。
そして、同じサイズのコートでやるわけで。

 

ホーム、アウエーの違いはあれど。
プレイオフでは、それはレギュラーシーズンの結果によるものなので…。
ホームコートアドバンテージを持っている人は、それなりの理由があると思うんです。

 

 

だから、ほぼ平等だと言えると思うんです。
でも、そういう平等だからこそ、試合以外のところで平等ではないというかな。

 

まぁ試合では平等だからこそ。
試合以外のところで平等でないところで差がでてくるスポーツだといえると思います。

 

 

 

 

 

人気のない地域はカモ?

で、前の記事とつながってくるところは、人気のない地域はカモなのでは?
ってことですね。

 

これは実際そうだと思うんです。
例えるのなら、強い人たちが集まっているところに、格下だと思われる人たちが戦いを挑むようなもので…。

 

 

たしかに試合をするメンバーは同じなわけですけど。
その人たちの質というかな、そういう点で差がでてきやすいってことですね。

 

 

これは、いい例えができないので悪いんですけど。
東大と、誰でも入れそうな大学の人たちが、クイズ勝負をするって感じに考えればいいのかな。

 

東大は、よくわかりませんけど、勝手に優秀な人たちが集まってきそうなイメージなのに対して。
誰でも入れそうな大学は、そのまんまで金さえ払えば入学できそうな人たちもいるわけで…。

 

そういうところでクイズ勝負をしても、やっぱり東大なところが有利だと思うんです。

 

 

でも、結局大学のシステム的には、似たような感じだと思うんです。
学ぶことだったり、そこにいる人たちの年齢的にも、似たような感じだと思うんです。

 

 

でも、そういうのはあまり見えないものだと思うんです。
たとえば試合がスタートするときに
1−0からスタートしたら、先に1点入っているほうが有利に感じますよね。
それは
「平等ではない!」
と多くの人が感じると思うんです。
まぁ1点ぐらいだったら、そのぐらいなら平等だという人も多そうですが。

 

 

でも少なくとも、試合は常に0−0からスタートする平等で。
試合にでている選手の数も5人ずつで平等なわけです。

 

で、まぁそういう選手の質で、いいのを揃えられないほうは
「試合では平等なんだ!」
な感じで、やりようがあるみたいな感じも出したりしますけど。
なんか、その時点で、もうカモな感じがある気がするんです。

 

 

だって、試合ではたしかに平等なんですけど。
そういうことを考えている時点で、選手の質みたいな点で、不利な立場だと思っているわけですから。

 

 

だから、日本では首都の東京に人が集まるのは当然のことなのかもしれません。
いや、そもそもNBAでも、大都市に選手が行きたがるのは、そういう強い選手が集まりやすいからなのかもしれません。
そこにいけば有利になるとわかっているというかな。

 

実際一時期のレイカーズだったり、最近のニックスあたりは、人気がありそうな都市なイメージがありますが。
選手的には、敬遠しているところがありましたよね。

 

レイカーズは最近レブロンが加入したりして、有力選手が入ったりしていますけど。

 

 

よく東京に人が行くのは
「東京が魅力的だから」
っていうのは、当然のことというか、あたりまえのことというかな。

 

たとえば、東京と、地方で同じ能力を持っている人がいて。
東京のほうは、たしかに人も埋もれてしまうかもしれませんけど。
東京のほうが、羽ばたけるというか、自分をアピールする場があるのは確かだと思います。

 

一方で地方だと、たしかに能力が高ければ、すごく重宝されると思いますが。
一定のところで、頭打ちになってしまうというかな。

 

 

これは、日本のバスケと、アメリカのNBAの年棒みたいなものを見ても、似たようなことが言えると思うんです。
八村を例にして、八村が日本でバスケをやってもらえる年棒と。
NBAでもらえる年棒なら、NBAのほうが日本でバスケをやるより多くもらえると思います。

 

八村が2人いて、日本でバスケをやる八村と、NBAでバスケをやる八村だったら。
NBAでバスケをやる八村のほうが注目度は高くなると思います。

 

日本でバスケをやっている八村が
「まったく同じ人物なのに!」
と考えても、そういうのはしょうがないですよね。

 

 

そういう感じで、まぁなんていうの?
やっぱりこういうのは見えないところで、差があると思うんです。

 

だから、良いところに行きたがるのは当然だと思いますし。
日本のバスケチームと、NBAのチームだったら、試合をすればNBAのチームが勝つのは当然だと思います。

 

 

それは差が大きすぎるので
「カモにされてもしょうがない」
に思いますけど。

 

NBAのチーム的にも、そういう差っていうのは見えにくいだけで存在しているように思います。

 

 

 

 

 

平等に見えるからこそ油断できない

別にこれはNBAは平等ではない!みたいなことを言いたいわけではなく。
平等ではないのに、試合に限っては平等なところからスタートできる的な?

 

 

いやぁ、うまく言えなくてすいません。
でも、人間生きていると、どうしても
「こちらほうが有利」
ってことを思ったりする瞬間があるような気がします。

 

たとえば、サッカーとかはアメリカはそんなに力を入れているイメージがないので。
20年ぐらい前かな、そのときのアメリカのサッカーチームとかになると
「そんなに強くないでしょ」
みたいな感じで、こちらのほうが有利に思ったりする国は結構あったと思うんです。

 

 

でも、アメリカって国は兄弟ですから。
アメリカが本気になれば、サッカーというスポーツでも一気に上位に食い込めると思うんです。

 

油断したら、一気にやられるっていうのはそういうことですね。

 

 

実際試合は0−0からスタートするわけですから。
試合に限ったことをいえば、平等なわけですよね。
その試合前の、選手集めやら、そういうところでは差がでてくるところがあるわけであって。

 

 

中国なんかは、以前は日本と比べれば遅れている国なイメージがありましたが。
最近ではアメリカに次ぐ2番手な感じになってきて。
アメリカも中国をつぶすために、いろいろ手をうったりしていましたよね。
トランプはまさにそういう中国への貿易摩擦な感じで、株をやっている自分は痛い目をみさせられました。

 

それはアメリカっていうのは、そういうことがわかっているからな気がします。
少なくとも、中国の人口と、その土地的なものはでかそうなので、なかなかの脅威ですよね。
よく知らんけど。

 

 

言いたかったのは、平等ではないと嘆くとかそういうことではなく。
有利だと思っていても、そういうのは一瞬でひっくり返るというかな。

 

試合というのは0−0でスタートするわけで。
それは、どんなに金持ちと貧乏の対決でも、はじめは0−0からスタートするわけで。
むしろそれって異質なことなのかもって、そっち側の感じです。

 

 

だから、まぁ考え方を変えてみると。
ペイサーズとか
「FAとかいい選手入ってこなくて不利だ」
とか言いたくなりますけど。

 

むしろそれはレイカーズとかになると
「なんで最初0−0からスタートしないといけないの?」
な感じのことなのかも…。

 

そういう平等なところがある分、むしろペイサーズ側が恵まれているところもあるのかも?

 

 

世の中っていろいろ理不尽なことがあると思うんです。
たとえば生まれたところが金持ちか、貧乏かも大きく人生に関わってくると思いますし。
顔がいいのか、悪いのかってところも人生に関わってくると思います。

 

でも、スポーツの試合は、基本0−0からスタートしますから。
スポーツっていうのは、不平等に見えて、これほど平等な扱いになるのも珍しいものなのかもしれません。
あくまで試合に限っての話になりますけどね。