NBA

なぜ強いチームは尊敬されるのか?

NBAに限らず、多くのスポーツやギャンブルでもそうなんですが。
強者は尊敬される傾向にあると思います。

 

 

自分も、なんとなくそういう感じがあって。
今現在もある程度、そういうところはあると思います。

 

で、NBAのこのサイトをやっている途中に、自分は株のほうに手を出しまして…。
まぁ株なんて、ようはギャンブルですよ。

 

株のことを
「ギャンブルではなく投資だ」
って人もいますけど。

 

 

そういう人はギャンブルとはどういうものなのかをわかっていないだけで。
ギャンブルっていうのは

  • 金銭を賭けること
  • 勝負

この2点であればギャンブルなわけです。

 

たしかに株っていうのは、買い物とも考えられますけど…。
表現を変えれば、転売ともいえるかもしれません。
まぁでもギャンブルといっても、なにも問題ないと思っています。

 

 

で、株がギャンブルなのか、そうではないのかなんてことはどうでもいいんです。
株をやっていろいろ考えたわけです。

 

日本で株というのは
【個人投資家の9割は損をする】
とか言われています。

 

 

自分はどうしてもこれがよくわからなかったわけです。
9割も損をするなんてありえるのか?

 

そんな9割も損をするのなら、株なんてやらないほうがいいに決まっています。
でも、どうしてもこれが違和感があったわけです。

 

 

実際自分も株をスタートして、もう少しで3年になりますが。
なんとかプラスになっています。

 

まぁコロナの暴落があったときは、含み損が300万まで行きましたけどね…。

 

 

そういう感じで株っていう物がどういうものなのか考えたりしたわけです。

 

そして、株についていろいろ書いたブログとか見ていたんですが。
9割が、まぁ普通なんですけど。

 

 

ほんとうにごく少数なところに、本質をとらえているようなものがあって。
それを考えていくと、こういうNBAのスポーツなんかも違和感を感じる点があったりしたわけで。
それについて書いてみようと思います。

 

 

 

 

 

勝つチームがあれば負けるチームがでてくる

対戦型のスポーツになれば、勝つ人がいれば、負ける人がでてきます。
用は野球でもサッカーでも、テニスでも、柔道でも、勝つ人がいれば、その一方で確実に負ける人がいるわけです。

 

いや、そんなのはみんなわかっていると思うんです。
勝つ人がいれば、負ける人もいる。

 

 

で、ここからが、まぁ記事のタイトルのあーだこーだになってくるんですが。
強者が尊敬されるっていうことへの違和感があるわけです。

 

用はスポーツで強者は、数多くの敗者を生み出しているわけです。
それなのに、強者が好かれた立場になるっていうのは、違和感があるわけです。

 

 

このサイトはペイサーズを応援しているサイトですから。
それを例えに出せば、たとえば前年はレイカーズが優勝しましたけど。

 

「レイカーズ強かったなぁ」
とか、そういう感想を抱く人は多かったと思うんです。

 

でもそれは考え方を変えると、レイカーズは少なくともプレイオフで多くのチームに負けさせたチームでもあるわけで。
レイカーズ以外のチームになると
「レイカーズ、腹立つ!」
となってもおかしくないような気がします。

 

だって、レイカーズは数多く勝ったわけで、その一方で数多くの負けを他チームにつけさせたわけですから。
レイカーズファンは喜んでいいと思います。
でもレイカーズ以外のチームのファンは、レイカーズを恨んでいいと思うんです。

 

そう考えると、レイカーズ1チームのファンと。
レイカーズ以外のチームのファン。
その数の多さは、やっぱりレイカーズ以外のチームのファンのほうが多いと思いますから。
そういう優勝チームというか、強いチームというのは、どちらかというと恨まれるほうが自然に思うんです。

 

 

人によっては
「こういうのは勝負事だからしょうがない」
とか
「単純に相手が強かったんだからしょうがない」
って人もいるかもしれませんけど。

 

それはカモ思想なんじゃないかと思うんです。

 

 

ここらへんが株をやって、いろいろ調べて思ったことで…。
勝つ人がいれば、負ける人もいるわけで。
勝つ人に対して、尊敬とか、好意的な目で見るっていうのは、違和感があるというかな。
それをわかっていない人が多いってことがあーだこーだなわけです。

 

 

 

 

 

麻雀は点数が決まっている

麻雀はそんなに詳しくはないので…。
でも麻雀っていうのは、一応はじめはみんな同じ点数からスタートすると思うんです。

 

いや、知らんよ。
脱衣麻雀とか、たまに相手が大量得点で、こちらが1000点からスタートするときとかあるけど!!
でも4人でやる一般的な麻雀は、たぶん25000点ぐらいでスタートすると思うんです。

 

つまりスタート時はみんな平等だと思うんです。
これはスポーツもそうですよね。
スポーツもはじめは0勝0敗からスタートするはずです。

 

 

で、麻雀はそこから相手から点数の奪い合いというかな。
そういうものですよね。

 

点数を増やすためには、相手から点数を奪う必要があるわけです。
そしてその点数には限度があるわけで…。
いや、点数がマイナスになるとかあるのか知りませんけど。ドボンっていうの?

 

結局は奪い合いなわけですよね。
麻雀はどうやっても
「みんなで笑顔になろう」
とかは無理だと思います。

 

 

でもこれはスポーツもそうだと思うんですが。
なんか知りませんけど、スポーツだと
「負け越したけど、いいシーズンだった」
みたいなこともあるような気がします。

 

 

まぁ実際、他人事だからそれでもいいと思うんです。
でも、負けのほうが多いのに
「よかった、よかった」
はおかしくないか?

 

負けのほうが多いというのは、どこかに勝ちのほうが多い人がいるわけで。
そういう勝ちが多い=多くを奪った人を尊敬というか、好意的な目でみるっていうのが違和感を感じるってことです。

 

 

たしかに単純に
「強いから尊敬しています」
っていうのなら、それでいいと思うんです。

 

でも、言い方を変えれば
【強者が奪う世界】
なんて聞けば、なんか気持ち悪くなってくると思います。

 

野球のイチローなんかは、一時期ばんばん打っていましたけど。
日本人はそれをみて、もりあがったりしていたと思いますが。
これは言い方を変えれば、投手の人生を終わらせたりしているともいえるわけで。
そう考えると、人によっては
「かわいそうなことをしているな」
と思ったりするところもあると思います。

 

 

キャプテン翼なんかでも、三杉の心臓があーだこーだで。
そのマネージャーが、翼に
「キャプテンの心臓が〜」
なんてことを告げて、翼が手を抜いたようなプレイを感じた三杉が、そのマネージャーにビンタするシーンとかあると思うんです。

 

でもそれもこちらが万全でなくても。
相手がよりヘマをすれば勝てるチャンスがあるってわけで…。

 

用は三杉は正々堂々と戦いたいってことだったんだと思うんですが。
どこからどこまでが正々堂々なのかは、人それぞれだと思います。
そしてこういうのは最終的に、勝ったほうが正義になりがちですよね。

 

NBAでも、一時期フリースローが下手な人にファウルをする戦術が流行りましたけど。
そういうのをしてでも、勝ったほうが正義です。
その試合では
「そういうつまらないプレイはやめろ!」
と感じる人もいるかもしれませんけど、そういうことをしてでも勝ったほうが正当化されるというか。
勝ったほうが強いって感じになります。

 

 

スポーツというのは、確かに強いチームが勝つなんて言われていますけど。
それは考え方を変えると、自分より弱いチームがいれば勝つというか…。
まぁカモがいれば、勝てるわけですね。

 

で、麻雀でも、株でも共通しているわけです。
たしかに麻雀でも株でも、運が絡む勝負事ですから。
カモでも勝てるところもあると思うんです。

 

 

でも結局長い目で見ると、カモは搾取されるわけです。
カモがいるから、勝てる人がいるわけです。

 

まぁ、スポーツもミスをしたほうが負けるなんていうのは。
用は、カモから勝ち星をいただく…。
そういう言い方ができると思います。

 

 

 

 

 

強者を尊敬できない理由

物事には、全員が笑顔になれるものもあると思うんです。
いや、知らんけど。

 

でも、多くの物事は、勝者がいる一方で、その勝者に搾取される敗者がいるわけです。
それは仕方ないこととして。
その敗者が勝者を尊敬する図っていうのは、個人的に
【鴨が葱を背負ってくる】
の図に思えるんですけど…。

 

 

スポーツで言えば、勝ったチームは負けたチームから勝ち星をもらえた上に。
その敗者のチームから尊敬されるわけですね。

 

勝ち星をもらった上に、尊敬までされちゃって。
まさに鴨が葱を背負ってくるな感じな気がします。

 

 

でも、最近はこういうのが普通なのかもしれません。
自分がちょっと異常なのかもしれません。

 

でも、株なんかで
「1億儲けました」
とか言っている人がいるのなら、それは一方というか、数多くの人がそれだけの金額を投げて
その人のところに入ったものだというわけで。
自分はそういう株で大儲けしている人は、恐ろしいというか。
そういう人にはできるだけ近寄りたくないと思います。
その人がいなくなれば、自分のところに、もう少し多くのお金が舞い込んできそうな気がします。

 

 

用は、スポーツでも強者っていうのは邪魔だと思うんです。
ペイサーズとしても
「レブロンさえいなければ」
みたいな感じになったときもありましたけど。

 

強い人がいるから、負けになったりするわけで。
スポーツは他人事だから、まぁ受け入れたりできるわけですが。
もし自分のお金がかかっていることだったら、なんていうの?
少なくとも、そういう人を尊敬できるっていうのはおかしいような気がするんですけど。
どうなんでしょ。

 

 

こういうことを書くと、なんか自分が心の狭いような人間に思えるとこもありますけど。
そうなのか?

 

これは多くの人が、カモな心を持っているというか。
それに気づいていないだけであって。
強者を尊敬するっていうのは、どこか違和感を感じたりしたわけですね。
まぁ自分もそういう株をやる前は、カモな心(表現が悪い)だったわけですけど。

 

 

でもさぁ。
やっぱりおかしいと思うんですよ。

 

麻雀とかで、点数をばんばんとられて、その上で強い人を尊敬するとか。
カモでしょ。

 

 

その強い人だって、さらなる強い人がでてくればカモになるわけで。
でも、頭のいい人だったら、そういう自分より強い人がいたら、勝負は挑まないですよ。

 

そりゃ単純に
【自分がカモになるのはごめんだから】
です。
多くの人がそうだと思います。

 

 

たしかに負けても
「おもしろいからいい」
って人もいると思うんです。
でも、それがカモというか。

 

でも少なくとも鴨は
「自分をおいしく食べてくれる人がいたらうれしい」
とは思っていないと思うんですけどね。

 

結局鴨は、自分がカモだとわかっていないから近寄っているだけで。
まぁ食べられた後も、鴨は自分がカモだったとは思っていないと思うんです。
なんかそういう感じになっている人が、多い世の中になっているような?

 

 

でも、だからこそ株っていうのは、強いというかうまい人は儲け続けることができるのだと思います。
そして、そういうのに気づいていないから、カモな人は
「株で儲ける方法!」
みたいなものにお金を払ってまで購入したりするのだと思います。

 

 

 

 

 

恐ろしい世界

よく株は恐ろしいとか。
ギャンブルは恐ろしいとか。
そういうことを言われたりしていますけど。

 

でも、そういうのは世の中の多くがそうだと思うんです。
たとえば、就職的なものでも、枠は一定数しかないと思うので、受かる人もいれば落ちる人もでてくるわけで。

 

 

いやいやいやいや。
具体的に言ってしまえば。

 

株っていう物でも、空からお金が降ってくるものだと思っている人がたくさんいます。
実際は
「空からお金が降ってくるなんてありえないだろ」
っていうと思います。

 

でも、株で儲けるっていうのは、どこかからかお金がでているわけで。
株の世界は、そういう世界なんです。

 

 

一定額のお金を回しているっていうかな。
そういうものであって、株をやっている人でも
「株が上がれー!」
とか
「株が下がったから損切りするか」
とか、お金がどこかからかわいてきて、お金がどこかへ消えていくと思っている人がたくさんいるわけです。

 

 

スポーツでも、シーズンが終わったら
40戦22勝18敗だったから、まぁまぁだったな
みたいな感じで数字をみて、あーだこーだな感じになりますけど。

 

1勝したら、相手に1敗つけていて
1敗したら、相手に1勝あげているわけですね。

 

どこかからか勝ち星が降ってくるわけではないので。
いくらこちらが次のシーズンに戦力アップしたとしても。
相手もそれ以上に戦力アップしたのであるのなら、勝ち星より負け星のほうが増えるわけです。

 

 

ゲームとかで対戦相手が選べるのなら。
勝てそうな相手とばかり戦う人もいると思うんです。

 

そういう人がいると
「卑怯だな」
と感じる人もいるかもしれません。

 

でも、そういう人こそ正しいのかも。
少なくとも、そういう人は自分がカモになることを避けているというかな。

 

 

勝てそうな相手とばかりを戦う人を卑怯だと思う人は
「少しはカモになれよ」
と言っているようなものなのかも。
それもどうかと思ったりしますし。

 

 

でも、そういうことを思う人がいるのなら。
少なくとも、そういうカモになってくれる存在っていうのは必ず存在し続けるのではないでしょうか。

 

まぁ自分もどちらかというと性格が優しいというか。
そういうところがあるので、カモになりがちなんですけど…。

 

 

ただ、少なくとも強者を尊敬するっていうところは、なんか違和感を感じたりします。
まぁうまい人の技を盗んでやるみたいな感じなら、いいと思うんですけどね。

 

単純に、強い人を
「強いなぁ、すごいなぁ」
な感じで、カモにされ続けているっていうのは、なんかそれでいいのか、よくわからないですね。

 

 

結局スポーツなんていうのは、他人事だから、そういう強い人を
「強いなぁ」
でいいと思うんです。
勝つ人も負ける人も、結局他人ですから。

 

でも自分事になってくると、そういう強い人を尊敬するっていうのは違和感があるというか。
そういう人は別にこちらのことを
「あいつはカモだ」
とかは思っていないと思います。

 

でも、そういうことを思っていないからこそ。
なんかたちが悪そうな人も存在していそうな気がしますね。

 

 

と、そんな感じでした。
最近は株をやっているときは
「自分より下手そうなやつは存在しているのか?」
っていうことを、心に少し考えてやっていたりします。

 

でもこういうのは、他の人も少なからず思うことだと思うんです。
たとえばパチンコとかまったく知らない人でも
「あの人、あの機械に大量にお金を投入していたから、そろそろでるかも」
とかは思うのでは?

 

用は、下手な人がお金だけ投入してやめていった台は
「なんかよさそうに見える」
みたいな心情はでてくると思うんです。

 

 

強い人っていうのは、そういう感覚に優れた人というかな。
実際それでうまくいくのかどうかはわからないですよ。
勝負事には運が絡むところも多いですから。

 

でも少なくとも強者は
「誰かに損してもらわないといけない」
なことは心のどこかに持っているような気がします。

 

 

どうしても、物事を綺麗な感じで考えたくなりますけど。
どうでしょ。
知らないほうがいいこともあるってことなのか。
でも、それを知らないと、カモになったまま終わってしまうような。

 

うーん、でも自分がカモだったなんて知らないで一生終えたほうが幸せにも思えたり。
そして自分がカモだったとわかったとしても、依存というか癖になってしまって。
そこから離れられない人も多いんでしょうね…。

 

そもそもパチ系は
「胴元が勝つ」
とわかっている上でやっているはずですから。

 

でも、自分が儲けるためには
「他の人により多く損してもらわないといけない」
ってことに気づいている人は少ないような気がします。

 

 

本当にやばい人になると、麻雀で例えるのなら
「このカモにも少しいい気持ちにさせないとやめてしまうかもしれないから、振り込んでやるか…」
なことで、わざとあたり牌を投げたりするときもあるのかも?
さすがにないか…。

 

でも、パチ屋の胴元は、まぁそういう感じで成り立っているわけですよね。
多くの客が損したお金の一定額を他の客にばら撒いているだけですからね。
別にパチ屋がお金を払っているわけではなく、損していった客のお金から一定額を出しているだけですから…。

 

いや、普通の仕事の給料も基本そういうシステムなんだけど!